笛木醤油

 2020年10月、コロナ禍ということを忘れさせてくれるほどの気持ちの良い秋晴れの日に、笛木醤油さんを訪問させていただきました。

 「醗酵の時間」では、醗酵食品を日々の食生活に取り入れていただきたく、自宅で簡単に手作り出来る醗酵調味料キットを開発するため、プロジェクトが立ち上がると同時に試作にとりかかりました。麹を選び、塩を選び、醤油を選ぶ。出来る範囲で出来る限りの組み合わせが試せるよう原料を選びました。泣く泣く諦めたものも沢山ありましたが、笛木醤油さんの減塩醤油はどうしても試してみたかった1つです。減塩醤油と聞くと、昔ほどではなくとも、「水で薄めただけ、美味しくない」などと、まだまだマイナスのイメージがついて回りますが、笛木醤油さんのものにはそのイメージがありません。健康面において塩分量を気にされている方でも、美味しく安心して使っていただける調味料を作りたい、そんな思いがあり、すぐに取り寄せ試作に入りました。

 想像を上回る美味しさ。減塩のため加えた麹の溶け具合も早く、出来上がりの醤油麹はやわらかく甘み豊か。減塩ということを忘れてしまうほどの奥深さも感じられる。醗酵セミナーで笛木醤油さんのお醤油を紹介させて頂く機会は何度もあったのですが、恥ずかしながらその背景は知らずにいました。一体どんなところでどういう方がこんなに優しくキレイなお醤油を造っているのだろう?そう思い始めたらお会いしたくなり、連絡を取らずにはいられませんでした。

 正直アポイントのお願いをするのは苦手です。初めてのところなら尚のこと。いつも電話口で緊張します。大丈夫かな?お会いしていただけるかな?優しい方かな?そんなことばかり考えてしまいます。笛木醤油さんにもドキドキしながらお電話をしたのですが、取り越し苦労でした。お人柄は商品に反映されるのですね。

 取材当日も優しさ満載でお話してくださったのは、現在、埼玉県醤油組合専務で笛木醤油12代目当主、笛木吉五郎さんです。

 物腰がやわらかく、まだお若い。12代目吉五郎を継承されてまだ3年だそうです。今ではこの蔵のため、地域のため、世界にも視野を広げ、地球環境にも力を入れながら、精力的に取り組まれている笛木さんですが、ここに至るまでには、少しばかり回り道をされたようです。10代目吉五郎おじい様のこと、先代のお父様のこと、名跡を継ぐことを許されなかった叔父様とのこと、そして笛木さんの逃亡時代!?の出来事、そしてそれらの思い。たくさんのお話しを伺いました。

 川島町に蔵を構える笛木醤油の創業は寛政元年(1789年)。江戸時代から川越藩の穀倉地帯として栄え、地名の通り、四方を川に囲まれ、自然豊かなこの地で醤油造りが始まり、以来、伝統的な醸造方法を守りながら、厳選された丸大豆、小麦、天日塩のみを原料とし、大きな木桶で1年から2年の年月をかけ、ゆっくりと醗酵熟成させて造られています。

 昔から埼玉県では丸大豆を使用し醸造する醤油蔵が多かったため、丸大豆醤油発祥の地とも言われているそうです。さらに笛木醤油のある川島町は、以前は醤油の原料の大豆や小麦が豊富に取れ、周囲には入間川や越辺川があることからキレイな水にも恵まれ、おじい様の代まではその川沿いに醤油蔵が何蔵もあり、県内でも有数の醤油の産地だったそうです。明治時代までは、ここから船で川越の新河岸川まで運び、そこから江戸、東京へと醤油を運んでいたという歴史があるそうです。笛木さんはこの話を聞く度に、200年以上にわたり代々醤油蔵を続けてきたという家業とこの川島町に、おじい様のプライドと誇りと覚悟を感じていたといいます。笛木醤油は創業以来、吉五郎の名跡を継ぐことを許されているのは直系の長男のみで、当然ながら、笛木さんもいずれ12代目を継ぐことを約束されていました。しかし若かった当時の笛木さんにはおじい様の言葉は響かず、醤油屋に興味もなく、逃げることしか考えていなかったそうです。

 一方、先代のお父様は、醤油の国内出荷量が1973年をピークに減少していく中で、醤油業界を案じ、生き残りを図るため事業改革に取り組まれていました。今から25年前、醤油蔵発信として「お醤油の美味しさをうどんの出汁つゆに」をコンセプトに、うどん専門のお食事処「うんとん処・春夏秋冬」、そして醤油のアンテナショップ、金笛醤油直売所を、江戸の街並みが色濃く残る川越の地に出店されます。健康志向の方向けに減塩醤油を開発されたのも先代です。独自の技術で塩分のみを50%カットすることに成功したそうです。先代の頭の中にはまだまだ沢山のアイデアがあったに違いありません。しかし11代目吉五郎を襲名してわずか1年で他界してしまいます。享年51才。白血病でした。

 当時笛木さんはまだ高校3年生。これから農大に入り醸造学を学び家業を継ぐための準備をしなければなりません。そのため、その間の<中継ぎ>として、先代の弟で設計士だった笛木さんの叔父様が仕事を辞め蔵を守ることになります。しかし、肝心の次期吉五郎氏は醤油屋に全く興味が無かったため、農大には入らず、全く関係のない大学に入ってしまいます。更には元々国際協力の分野に興味があったことから、日本を離れ、現在世界規模で取り組まれている<SDGs>のような国際協力、人道支援、環境問題などの分野に強いアメリカのジョージワシントン大学へ編入してしまいます。そしてそのまま逃げてしまおうと考えたそうです。逃亡時代の始まりです。

 ところが、その逃亡時代に終止符を打ち、考え方を180度変えさせられた大きな出来事が起こります。ルームメイトがバカンスでサンフランシスコに帰省した際のことです。偶然スーパーで笛木醤油が手がける<金笛醤油>を見つけた彼は、笛木さんに写真を送り確認します。間違いなく笛木醤油の金笛醤油だったそうですが、笛木さんは自分の蔵の醤油が海外進出していることをその時まで知らなかったそうです。事業改革に精力的に取り組んでいた先代が、醤油の美味しさを、文化を、世界に向けて20年以上も前から積極的に発信していたのです。足跡はしっかりと残っていました。そしてその友人から「これは、これからあなたがやらなければいけないミッションです」そう言われハッと気付かされたそうです。逃げていた自分に、自分の意思で家業を継がなければと思わせるよう、結果そう仕向けたお父様の力に笛木さんは鳥肌が立ったといいます。

 そこから10年、蔵の職人さんに手ほどきを受けながら、醤油造りはもちろん、トラックの運転から営業まで、蔵のため、先代のためにと修行に励みます。しかし縮まらなかったのは叔父様との距離。吉五郎の継承を許されなかった<中継ぎ>の前社長が他界された後、事業承継もないまま、3年前、12代目吉五郎を襲名することになります。これからどうすればいいのか途方に暮れ、眠れない日々が続いていた時、お父様が生前に書き残していた将来の事業経営計画書が、蔵の中からすっと出てきたそうです。今度は聞いていた私が鳥肌です。20年以上も先を見据え、蔵のこと、醤油業界全体のことを考え取り組んで行こうという熱い思いがぎっしりと書かれていたそうです。先代はどれだけの先見の明をお持ちだったのでしょう。そして、どれだけ悔しかったことでしょう。でもそれを今、12代目がしっかりと受け継いでいらっしゃいます。先代と二人三脚で歩まれているような、そんな風にも見えました。

 笛木醤油の敷地内に、創業230年を迎えた昨年、「食べる」「学ぶ」「買う」「遊ぶ」のコンセプトのもと、体験型複合施設「金笛しょうゆパーク」をオープンされました。自家製めんを味わえる「しょうゆ蔵のレストラン」、しょうゆがなにからどうやって造られるか、楽しく学べる工場見学「金笛しょうゆ楽校」、しょうゆパウダーなど、楽しい商品がいっぱいの「金笛・直売店」、木桶の中に入ったり、ブランコで遊べる「もぐもぐ広場」。とても楽しい空間になっています。醤油造りの現場を見てもらい、醤油の価値をちゃんと伝えなさい、これが先代からの教えです。笛木さんはこうおっしゃいます。「この川島町にわざわざお越しいただくのはお客様にとっては大変なことだと思います。しかしここに来ていただき、ここでしか買えないものを買っていただきたい。そのために、醤油だけではなく醤油の美味しさを別の形でも伝え、尚且つ、地元の方と協力し合いながらより良いものを届けていきたい」。そして少し照れながら、「醤油蔵がバウムクーヘン作っているんです。木桶バウムって言うんです」そんなお話をされる笛木さんが誰よりも楽しそうでした。そうなれたのはきっと、悩んでいた3年前に笛木さんを救ってくれたもう一人のお方、高校の先輩でCOEDOビール社長の朝霧さんの言葉があったからなのでしょう。「やりたい事をやった方がいい、やりたい事をやってくれる事が周りは一番幸せ」とても優しい言葉です。

 取材後半には蔵見学もさせていただきました。その時に渡された「金笛しょうゆ楽校」の教科書がとても素敵なのです。金笛の算数から始まり、社会、国語、図工、理科、家庭科と続きます。教科書の中は写真やイラストがいっぱいでワクワクします。これからの時代を担うちびっ子から、大事なことをちょっぴり忘れかけていた私のような大人までが、楽しく学べるようになっています。

 教科書の中にこんなことが書かれているページを見つけました。

「近年の取り組み」
100年先に伝えたい!
こだわりの埼玉しぼり醤油づくり
笛木醤油×青山在来大豆

醤油のつくり手として、地域環境に優しく安心安全な醤油づくりと木桶仕込みを未来に繋げたいという想いのもと、話し合いを続け、多くの方々のご協力によりいくつものハードルを越え、一歩踏み出しました。

「青山在来大豆」、埼玉県比企郡小川町の青山地区でつくられ、むかしから「こさ豆」と呼び、条件の悪い場所でも育つ豆と知られていた埼玉県の在来大豆は糖質25%と甘みがとても強いのが特徴です。

 その青山在来大豆を、栽培期間中は農薬・化学肥料を一切使わずに大切に農作物を育てている有機農家さんにこの醤油づくりのために栽培して頂けることに。契約栽培で育てた大豆と埼玉県産小麦を100%使用した醤油で、大豆の種まき・大豆の収穫・醤油の仕込みまでを一貫して体験していただけるイベントも実施。子どもたちの食育の推進にも繋げてまいります。

 これは、元々笛木さんが目指していた分野で、逃亡してまで学びたかった分野です。少しだけ回り道をしたけれど、今このように家業に取り入れながら、先代の教えと、先輩の言葉と、地域の方々と共に、12代目らしい新たな挑戦をされています。

 そして教科書の最後にはこのような文章が載せられていました。

日本の食文化に欠かすことのできない「しょうゆ」、
ふるさとの味である「しょうゆ」、
いつもの食事にはなくてはならない「しょうゆ」。

大事に大豆や小麦を育ててくれる農家の方たち、
大切な木桶をつくり守ってくれる木桶職人さん、
みんなのキモチ、みんなの笑顔をつなぎ、
金笛醤油はつくられています。
そして、それを味わってくださった方が笑顔になったとき、
金笛醤油は完成します。

しょうゆでみんなの笑顔をつなぎ、
食卓から笑顔があふれだす。
そんな未来をつくりたい。
「日本一、笑顔をつくる醤油蔵」笛木醤油の挑戦は続きます。

 「一体どんなところでどういう方がこんなに優しくキレイなお醤油を造っているのだろう?」この問いの全てがクリアになりました。川島町まで飛んできてよかったです。

 笛木醤油さんとの出会いは、先代が開発された1本の減塩醤油。まさか、この出会いも先代の仕業だったのでしょうか?この素敵な出会いに感謝しながら、私たち醗酵の時間も沢山の方々と大切な時間を丁寧に紡いでいきたい。そして醗酵の時間の指標として笛木醤油さんをこれからも追い続けていきたいと思います。