悲劇から立ち直った澤田酒造。古来の製法で白老を広めていく

明治時代に“速醸法”を開発し、今もなお昔と変わらぬ製法で日本酒を造り続ける愛知県の澤田酒造。創業174年の老舗はなぜ、おいしい日本酒を生み出すことができるのか? 甚大な被害を受けた火災から、いかにして復活を遂げたのか? 6代目社長の澤田薫さんに話を伺った。

水質に恵まれた常滑市
白老が品評会で第1位に

 2020年、愛知県の老舗酒造メーカーを襲った火災を覚えている方もいるかもしれません。常滑市に蔵を構える澤田酒造は、幕末の1848年(嘉永元年)に初代の澤田儀平冶氏が水質に恵まれた同地で興し、明治時代には乳酸添加による酒母づくりの開発に寄与、米のうまみを生かした基本に忠実な酒造りを続けてきました。



 1951年に「清酒 白老」が第1回愛知県酒造品評会で第1位となり、以降白老は現在まで同酒造を代表する製品となります。ちなみに白老という名前は、初代の澤田儀平冶氏が「米を白くなるまで磨く」という美しさの意味を込めた「白」と、「不老長寿」「老成した技」という意味を込めた「老」を重ねたところから命名されました。



 1969年には全国に先駆け、生の酒「蔵人だけしか飲めぬ酒」を発売。2017年には、名古屋国税局酒類鑑評会受賞純米の部で「特別純米白老」を3年連続、本醸造の部で「からから」が4年連続で優等賞を受賞。2021年には、IWC(インターナショナルワインチャレンジ)SAKE部門において、「大吟醸白老」がブロンズメダル受賞するなど着実な成長を続けてきました。現在、同酒造では清酒、梅酒、酒粕の製造販売。そして知多の醸造食品の販売を行っています。



酒造りの根幹が全滅
事業再開のメドが立たず

 しかし、2020年11月27日、突然の悲劇が襲います。冒頭に記した火災であり、酒造りの根幹である麹を育てるための麹室が全焼しました。

「私が接客中に突然社員が入ってきて『ヤバい!』と伝えてきました。お客様もいたので、その場は冷静に対応したのですが、どうも異常事態が起きていることがわかり、麹室から煙が出てると報告を受けました」と語るのは、6代目の澤田薫社長。「元々酒造りを継いでほしいと両親に言われたわけではないのですが、一人っ子だったので、自然と跡を継ぐことを意識していました。2007年に地元に戻ったのを機に、イチから酒造りを学び、事業を継承しました」。



 火災発生時は先代の父親も夫も不在であり、澤田社長自らが陣頭指揮を取り、消防署とのやりとりを行い、一部の社員を避難させました。火元が麹室であることはわかっていましたが、度重なるフラッシュオーバー(爆発のような瞬間的な延焼)もあって麹室は全焼。1時間で鎮火したものの、酒造りで最も重要な麹室と出来たばかりの麹を失い、燃えたススの匂いがついてしまった麹蓋などの複数の道具が使い物にならなくなりました。「当時の写真を見るとゾッとして背筋が寒くなるのですが、私の心境としては、172年という歴史が終わってしまったんじゃないかということでした」。



 その後、澤田社長は冷静に取引先や仕入れ先に連絡を済ませます。火災保険には入っていましたが、すぐに設備面での再建が検討できるかは未定でした。酒造りの心臓部とも言える麹室を失ったことで酒造り自体を一旦停止、造り中の酒母や麹を廃棄せざるを得ませんでした。澤田社長は「どうやったら事業再開のメドが立つのかわからず絶望しそうになりました」と話します。


ファンがネットで応援メッセージ
同業からの必死の支えが光明に

 絶望的な状況で悲嘆にくれていた澤田社長と社員でしたが、一筋の光明を見い出します。澤田酒造のファンがSNSで「白老を飲んで応援しよう!」といった呼びかけを始め、ネット上には澤田酒造を応援するメッセージであふれました。



「過去に火事に遭われた酒蔵さんで、私と年齢の近い女性社長さんから当日夜に長いメールをいただきました。そこには『どのような対応をしたらいいのか』『気をつけるべき点』など、あらゆることが書かれていたので初動が明確になりましたし、過去に火災に遭われた播州一献さんや別の酒蔵さんからも電話をいただいたり、本当にありがたかったです」。

 さらに澤田酒造への励まし、サポートは続きました。同じ愛知県内の酒造である丸一酒造(阿久比町)、関谷醸造(愛知県設楽町)、山忠本家酒造(愛西市)、森喜酒造(三重県伊賀市)の4蔵が麹づくりを、彼らの設備で引き受けてくれることになったのです。澤田社長は「火災からわずか2週間で再開までの道筋をつけることができました。まさしく感謝しかありません」と当時を振り返ります。



 また、取材前日に同社で白老の立ち上げに関わった元専務が亡くなったことに触れ、「97歳だったので大往生だったのですが、その専務が設計した麹室を焼失させてしまったわけです。昨日、お通夜に参列したとき、喪主の長女の方が『父は白老一筋の人生でした。火災で麴室が燃えちゃったね』という話を私がしたときに、父が言った言葉が『新しい時代の幕開けだな』って。それを聞いたとき、本当に泣けてきてしまって……」。2022年6月現在、設備はすでに復旧済みで、スタッフ総勢17名が日々忙しく業務にあたっています。 


こだわりの木製こしきで
米を“外硬内軟”に仕上げる

 澤田酒造の施設や製法について紹介したいと思います。日本酒の原料となる米は最高級の兵庫県特A地区「東条山田錦」、北陸産「五百万石」、広島県産「八反錦・千本錦」、そして地元愛知県で栽培する「若水・夢吟香」などを厳選して使用。また、2003年からは自社の水田で「若水」の減農薬栽培も開始しています。



 原料と同等に大切なのが水。お酒の80%以上は水で構成されており、醗酵にも大きな影響を与えます。澤田酒造では、江戸時代より酒造から2kmほど離れた知多半島丘陵部の伏流水を自家水道で引いています。「名古屋大学の教授に伺ったところ、どうやら知多半島に降った雨水が長い時間をかけて地層に染み込み、濾過された後に浄化され、いくつもの湧き水となったそのうちの一つではないかとのことです」。

 ぬかを削り取った白米は、洗米後、水に浸して吸水。お米の性質に合わせて木製のこしき(大型のセイロ)で丁寧に蒸し上げます。現在、多くの蔵で蒸米機が使われていますが、澤田酒造ではその米に合った最適な蒸しを行い、“外硬内軟”に仕上げます。



 木製のこしきは保温性や断熱性に優れ、余分な水分を吸収。お米を蒸すには最適だと澤田社長は語ります。「今は金属製が主流ですが、澤田酒造では木製を使用。ただ、こしきを作れる職人さんは今や日本に1人や2人と言われています。木製は丁寧に使えば長持ちもしますし、お米を蒸すにも適していると信じて使い続けています。同業者からは『こんなことをやってるから大変なんだ!』っていつも言われるんですけど(笑)」。


夜間作業、手間もかかる
麹蓋ですべてのお酒を製造

 酒造りは昔から「一麹、二酛、三造り」と言われ、麹造りが最も重要な作業です。澤田酒造では、吟醸造りでしか用いられなくなった麹蓋を使ってすべてのお酒を製造。夜間作業が必要であり、完璧な洗浄が求められるなど非常に手間がかかるため、ほとんどの酒造メーカーは自動製麹や大量生産方式を採用していますが、澤田酒造では昔ながらの製法を続けています。普通酒から大吟醸酒まで、すべてを一升五合盛りというサイズの麹蓋を使って麹造りをしているのは、県内では澤田酒造だけです。



 アルコールの発酵を促す酒母造りにおいても、長年の歴史と技術が生かされています。明治時代に知多半島の酒造家で組織した「豊醸組」(現在の半田酒造組合)が、澤田酒造に豊醸組醸造試験所を設置。そこで、乳酸を添加してから酵母菌を増殖させ、発酵を早く促す“速醸法”を国内で最初に開発し、現在も同じ製法で日本酒造りを行っています。

「当時、腐造防止に大変な成果を上げ、全国の酒造家が視察に訪れたそうです。うちは生酛や山廃酛をやらず、明治40年代の成功体験からずっと速醸酛でやっています。逆に速醸酛で時間が止まっているので、その後もいろんな技術が開発されているのですが、取り入れてなくて……。ただ、日本酒を勉強する方には、澤田酒造や知多半島の酒造家が速醸酛開発の起源となっていることを知ってもらいたいと思っています」


人々の意識を変えながら
愛知県の酒を広めていく

 我々も酒蔵にお邪魔し、原料となる水を飲ませてもらいましたが、非常に軟らかい澄んだ味が印象的でした。おいしい日本酒ができるのも納得ですし、それを昔ながらの製法で造り続けていることにも驚きでした。こしきで米を蒸している酒造は、今や数えるほどしかないでしょう。

 搾りたての白老は非常に芳醇な香りがし、多くのファンに支えられていることも理解できました。だからこそ、愛知県だけではなく、日本中に広めてほしいと伝えたところ、澤田社長は「県ごとに日本酒が紹介されるメディアを見ると、静岡から先は一気に関西まで行き、なぜか愛知県が抜け落ちているんです。非常に残念ですが、愛知県には個性的な酒蔵が揃っていると思います。しかし、県民性として、アピールも特にしませんし、そうした点を少しずつ変えていきたいですね。キーワードになってくるのが『醗酵』であり、それを通じて人々の意識も変えていきたいと考えています。知多の醸造・発酵文化風土に根差した日常に寄り添うお酒造りを追求することで、蔵で働く人にも、お酒を提供してくれる方にも、飲んでくださる方にも、そして地域にも貢献し、これからの未来の地域の自然のためにもなれるように頑張っていきたいと思います」と熱く語ってくれました。