カクキュー八丁味噌
「醗酵の時間」のプロジェクトが立ち上がってから早4か月。気付けば年の瀬。本来であればこの時期、街も人も新たな年を迎えるための準備で何かと忙しく、クリスマス会に忘年会、終わらないのに仕事納め、大掃除、からの帰省準備や正月準備、もう体力の限界!と叫びたくなるほど慌ただしくも、どこか楽しげで、そんな何とも言えない独特な空気が流れているはずが、2020年、今年はニューノーマル。今までに味わったことのない重い空気を感じながら、愛知県へと向かいました。
今回の取材は、疲弊する世の中と「醗酵の時間」がどう向き合っていくべきなのか、その根幹を確認するためのとても大事な時間となりました。大切なものを守るという強さと優しさと柔軟さと、そしてシンプルな物の考え方や、手間をかける必要性、これから始めていく上で大切なことをたくさん学ばせていただいたような気がします。
その1蔵目に伺ったのが、岡崎市八帖町(旧・八丁村)に蔵を構える、八丁味噌<カクキュー>さん。対応してくださったのは企画室長兼品質管理部長の野村さんです。八丁味噌が辿ってきた歴史的背景や名前の所以、地理的背景と製造方法との関係性、また、現在抱えている問題や今後に向けて蔵としての取り組みについてお話を伺いました。
1560年(永禄3年)桶狭間の戦いにおいて今川義元が敗れたため、家臣であった早川新六郎勝久が武士をやめ、岡崎(現、舳越町付近)へ落ち延び、名前を早川久右衛門と改めて寺で味噌造りを学んだことからカクキューの歴史が始まります。その後、子孫が現在の場所へ移り、1645年(正保2年)味噌屋を創業します。現在の当主早川久右衛門氏で19代目。江戸時代から375年もの間、代々蔵を守り続けています。
日本の伝統調味料の一つである味噌。味噌と一言で言っても多種多様あり、作り手の数だけ種類があると言われています。味噌にはJAS規格(日本農林規格)がないため、種類別に分けることはとても難しいのですが、麹の種類によって分けられることがよくあります。米麹を使用すれば米味噌のように、麦麹なら麦味噌、豆麹なら豆味噌、そして、これらを2種類または3種類ブレンドしたものが調合味噌、というように分けられます。この麹別の味噌で言うのであれば、日本国内に流通する約8割が米味噌になります。麦味噌は主に九州地方、豆味噌は愛知、岐阜、三重の東海地方3県でよく食されています。よって今回伺った愛知県は国内でも珍しい豆味噌文化圏になります。その豆味噌文化の中でも、岡崎市八帖町で造られる豆味噌は「八丁味噌」と呼ばれています。
豆味噌=八丁味噌と認識されている方もいらっしゃるかと思いますが、そうではありません。地名でもある八丁という名には、岡崎城から西へ八丁(約870m)の距離にあるという意味があり、そしてこの土地ならではの伝統製法で造られている豆味噌のみが「八丁味噌」という名で呼ばれてきました。
その伝統製法というのは、この土地の気候風土を逆手に取った製法で、矢作川をはじめ、早川、菅生川(乙川)など、川に挟まれていることから湿気が多く、物を保存させる環境として決して良いとは言えなかったため、水分量を極限まで減らしゆっくりと醗酵させることで保存性を高める「木桶・石積み・二夏二冬」というものです。それは、創業当初から変わらず木桶を使う。腐造防止のため水分量を減らしたことにより、醪全体に水分や塩分を均一に行き渡らせるため、約6トンの醪に対し3トン程の重石を円錐形に積み上げ均一に熟成させる。熟成期間は天然醸造で2年以上、という意味で、その他にも、重石は天然の川石と限定されていたり、味噌玉(豆麹)の大きさは握りこぶしほど、添加物は使用しない、など、細かく決められています。因みに、3トンの重石を円錐形に積み上げる技術を習得するまでに、およそ10年かかると言われています。とにかく大変根気を要する製法ですが、この地でこの製法で造られてこそ「八丁味噌」なのです。これらの背景から「八丁味噌」と呼べる豆味噌を江戸時代初期から造られているのは、岡崎市八帖町(旧・八丁村)に蔵を構える「カクキュー」さんと、道を挟んだお隣の「まるや」さん、2蔵のみになります。
「八丁味噌」を守るため、400年近くもの間、その時代ごとでいくつものご苦労があったことは想像に難くありません。その中でも特に、近代から現代においてどのようなご苦労があったのか、野村さんに伺いました。
「やはり最も影響が大きかったのは戦争です」とおっしゃいます。戦時中は物がなく、仕込む原料がない上に価格等統制令により味噌の価格を低く統制され、造れば造るほど赤字になる状況の中、醗酵熟成に2年以上要する八丁味噌を早く造ってたくさん供給してほしいと国から要望があったそうです。国には逆らえない時代、それでもカクキューさんが出した答えは、休業宣言をすること。短期で造る味噌は八丁味噌ではない。今まで築き上げてきたものを守るため、まるやさんと2社で協力し合いながら、昭和15年9月1日から25年3月31日までの約10年間、八丁味噌造りを休業します。その間、蔵を守るため、従業員を減らすという苦渋の決断を余儀なくされたこともあったそうです。
戦争という過酷な時代を経験しながらも、造り方を変えず、乗り越え、なんとかここまで守ってきましたとおっしゃる野村さん。しかし今、この町の文化が戦争に匹敵するほどの難局に立たされています。八丁味噌GI問題です。
実はこの問題について、今回取材先のカクキューさん、まるやさんから直接お話を伺いたいという思いもあり岡崎へやってきました。この問題が発生した平成29年から、セミナーを行う度に触れてきた重大事項です。正しく伝えていくため現状を伺いました。
まず、GI(地理的表示)保護制度とは、特定の産地と品質等の面で結び付きのある農林水産物・食品等の産品の名称(地理的表示)を知的財産として保護し、もって生産業者の利益の増進と需要者の信頼の保護を図ることを目的とするものです。もともと地理的表示保護制度は、1900年代初頭ヨーロッパで創設されたもので、日本のGI制度はこれをモデルとしたものです。現在「神戸ビーフ」「夕張メロン」などが登録されています。
GI制度は平成27年6月1日に施行され、同時に登録申請受付も始まりました。老舗2社のカクキューとまるやで構成する「八丁味噌協同組合」(以下、八丁組合)も同日、「八丁味噌」を申請しました。ところがその約3週間後、「愛知県味噌溜醤油工業協同組合」(以下、県組合)もまた、同名の「八丁味噌」を申請したのです。そしてその2年半後、GIに認定されたのは県組合側の「八丁味噌」でした。
【農水省がGIに認定した<県組合側の八丁味噌申請内容>】
「生産地」愛知県
「味噌玉」直径20mm以上、長さ50mm以上
「熟成期間」一夏以上熟成(3ヶ月以上)、温度調節を行う場合は25℃以上で最低10ヶ月「仕込み桶」タンク(醸造桶)
「重石」形状は問わない
「添加物」登録公示内容に記載はないが使用しているものが含まれる
「八丁味噌」とは前述の通り、豆味噌の中でも、八帖町で、そしてその気候風土が生み出した伝統製法によって造られる豆味噌のことです。その伝統文化を数百年に亘り守り続けてきた2社が外され、八丁味噌と名乗れなくなるかもしれないという「ねじれ現象」が今起きています。現在登録されている「八丁味噌」にはルーツの記載がないそうです。本来GI(地理的表示保護制度)というものは、品質や評価がその生産地の歴史や伝統文化、気候風土などと結びついている産品の名称を保護するという制度です。そこにルーツの記載がないとはどういうことなのでしょうか?ルーツのない八丁味噌を国が守る意味とは何なのでしょうか?ある記事にこのようなことが書かれていました。「農水省はすでに世に知られている名前を付けることで愛知県全体の味噌の知名度を上げ、輸出を有利にしたいと考えたのかもしれない」と。だとしたら、本末転倒と言わざるを得ません。
実際に八丁組合は農水省より生産地を八帖町から愛知県に拡大するよう、明確な説明もないまま再三に渡り要請されてきました。生産地拡大は品質への影響を与え兼ねないと農水省に訴え続けてきましたが平行線のまま、再考を要求され、ついには拒絶査定を示唆され、このままでは守り続けてきた伝統が失われる可能性が高く、登録は困難とみて、「地域で争いがある場合はどちらも登録しない」というGIガイドラインを踏まえた上で、八丁組合側は仕切り直すためやむなく申請を取り下げました。しかしそのわずか半年後の平成29年12月15日、農水省は県組合側の「八丁味噌」をGIに認定したのです。
EUのGI制度は、受理するまで、成分分析や官能検査に基づく議論が徹底して行われるそうです。今回の八丁味噌問題は両組合間の問題ではなく、EUのような議論を十分に行うことなく、書類上の審査が基本という国の体制の問題なのだと思います。
野村さんはこのように話してくださいました。「長い歴史のある豆味噌を一緒くたにしてしまうことが良くないこと。愛知県には醸造関係の会社がたくさんありますが、豆味噌とか、たまりとか、蔵ごとで全然違います。クセの無いストレートなタイプを造るところ、すごく華やかなタイプを造るところ、ここのはとても万能で、ここのは少しクセがあるけれど、お魚なら断然こっち、というように、蔵によって様々な個性や違いがあります。それが全て八丁味噌と呼ばれるようになってしまったら、それぞれの個性が分からなくなってしまいます。お料理や合わせるもので上手に使い分けができ、違いが分かるようにした方が、蔵元やメーカーにとっても良いことで、消費者が自分の欲しいものを選択するために最も大切なことだと思います」と。
八丁組合はその後、GI認定に対し、平成30年3月14日、行政不服審査法に基づき不服審査請求を行いますが、それに対し農水省側は、その申し立ては棄却すべきと判断します。行政の立ちはだかる高い壁。乗り越えるのは至難の業です。さらに八丁組合を苦しめているのが、平成31年2月1日の地理的表示保護法の改正により、無期限だった「先使用権」の期限が「7年」になってしまったことです。現在のGI認定がこのままリセットされなければ、今後2社は2026年2月以降「八丁味噌」を名乗ることが出来なくなります。
この現況を見て動き出したのが、長きに亘り八丁味噌を大切に育んできた市民の皆さんです。愛知産業大学学長が発起人となり結成した「岡崎の伝統を未来につなぐ会」による「八丁味噌」の登録見直しに関する要望の署名活動が行われており、7万を超える署名が集まったそうです。おそらくこの活動も後押しとなったのでしょう、行政不服審査会(総務省)が農水省側に対し、「申し立てを棄却すべき、という判断は妥当ではない」との答申が公表されました。しかしながら、農水省は本来は実施することにはなっていない第三者委員会という名前の会を農水省内に設置して検討を行い、この結論を参考にするという形で2021年3月19日に「棄却」という裁決を行いました。この決定を受けて、江戸時代初期から守ってきた伝統・文化をどのように後世に引き継いでいったら良いのか頭を悩ませているところです。
大きな問題と向き合いながらも、それでも今をその先に繋げていくために、今後どのような取り組みをされていくのか、最後に伺ってみました。
繋げていくことの一つが「木桶を購入し続けることですね」と野村さん。その理由を尋ねると、このように話してくださいました。「現在桶屋さんは、実質、大阪堺にある「藤井製桶所」1社で、その桶屋さんも2020年に大きな木桶の受注には区切りをつけると宣言されました。木桶は100年150年と長く使うことができます。そのため買い替えが頻繁ではないこと、さらには木桶を使う蔵自体が減ってしまったことで、木桶だけでは商売が難しく、各地にあった桶屋さん、職人さんが次々と辞めていき、今のような状況になりました。しかしここ数年、若手の中から、木桶職人としてやっていこうという方が出てきたこともあり、応援したいという思いです。伝統文化を守り続けることは簡単なことではありません。木桶を造るにしても、桶の素材となる吉野杉は、育つまでに100年かかります。桶を締める箍(タガ)用の竹は、30石(6トン)用のものであれば、まっすぐに伸びた15mほどの真竹という種類のものが必要になります。調達はどれも容易ではありません。だからといって辞めてしまったらそこで伝統産業は終わってしまいます。現に、吉野杉の製材に使う特殊な道具やそのメンテナンスに関しては、専門職の方がいなくなってしまったため、今では自分たちで勉強しながらどうにか続けている状況と聞いています。木桶を購入し続けていくことで、木桶に関わる産業へ波及効果があるのではないかと期待しているからです。」
現在カクキューさんの蔵で使用している木桶の多くは間もなく更新時期を迎えるため、毎年継続的に新桶を購入し、順次更新しているとおっしゃっていました。
私たちの限られた時間の中で、後世のためにできることといったら、もしかしたらそう多くはないのかもしれません。そしてほんの些細なことなのかもしれません。それでもその些細なことの積み重ねが、100年後200年後へと繋がるのであれば、それには大きな意味があるのかもしれません。私たちはその先を確認することはできませんが、大切なものが存在し続けられるよう、選択を間違えず、これからも進んでいきたいと思います。