唯一の醗酵和菓子、知ってますか?

それは、くず餅です。と言っても、ほとんどの方が想像している「くず餅」とは別物です。おそらく9割以上の方が関西地方の葛粉を原料として作られる「葛餅」と思われたのではないでしょうか?透明でぷるんとしていて、きな粉や黒蜜をかけて食べるととても美味しいあの葛餅。しかし残念ながらあの葛餅は醗酵和菓子ではありません。唯一の醗酵和菓子とは、小麦粉のデンプンを原料として作られる関東地方の「久寿餅」のことです。関西の葛餅とは見た目も食感も異なります。関東の久寿餅もきな粉や黒蜜をかけて食べるのですが、見た目は乳白色で食感は弾力がありもちっとしています。

 久寿餅は元々「麩」の副産物です。「麩」の原料はグルテン。小麦粉に水を加えて練り、グルテンを取り出し作られます。水溶性の溶け出た大量のデンプンは廃棄されていたのですが、それを利用し、醗酵させ作られるようになったのが「久寿餅」です乳酸醗酵させて作ります。その間なんと1以上。長いところだと2近く醗酵させるそうです。醗酵していないただの小麦デンプンを蒸し上げても〝うどん〟のようになるだけ。醗酵させることで弾力のあるもちっとした食感になるそうです。長期醗酵させる独特の匂いが強まるため、1週間ほど水洗いし、同時に攪拌、灰汁取りを繰り返し、匂いと酸度を弱めながらとろみを出します。最後にとろみの出た液体(醗酵デンプン)を型に入れ蒸しあげ「久寿餅」は完成します。やっとの思いで完成した「久寿餅」消費期限はたったの2日。絶句です。

 40年ほど前の東京には、大小合わせて約100軒の久寿餅屋さんがあったそうです。しかし、製造期間が長い上に独特の匂いを放つため、近隣からの苦情も多く、そしてなんと言っても出来上がりの消費期限短さがネックとなり、廃業が相次ぎ、現在東京で6軒、千葉、神奈川でも数件ほどだそうです。真空包装を取り入れ消費期限問題をクリアされたところもあるそうですが、それでも製造工程は変わりません。

 「久寿餅」の起源は諸説ありますが、江戸時代末期に起きたこんなお話が残されています。

 納屋に蓄えていた小麦粉が大雨で濡れてしまったため、久兵衛は仕方なくそれをこねて樽に移し水に溶いて放置していました。翌年の飢饉の際、ふとその樽を思い出し確認してみたところ、樽底で小麦粉のデンプンが沈殿しているのを発見します。あまりにもひどい臭い臭みを消そうと数日にわたり水洗いをしますがなかなか消えません。しかしここは腹を満たすため「背に腹は代えられぬ、火を通せば腹は下らぬだろう」と蒸しあげたところ、なんとも風変わりな餅が出来上がりました。その餅を久兵衛は腹の減った村人に配り、飢饉を救い英雄になりました。その餅は久兵衛の名の「久」無病長寿を祈願し「寿」の字を合わせ「久寿餅」と名付けられました

 江戸っ子たちは常に画期的なアイデアを日々の生活に取り入れ、厳しい環境にも耐え乗り越えてきました。この飢饉を救った「久寿餅」も江戸っ子の知恵です。捨ててしまっていた物を醗酵させ甦らせる。そんな素晴らしい文化の一つが今、消えかかっています。

 醗酵の時間を通して、この唯一の醗酵和菓子「久寿餅」を知っていただけたら嬉しいです。もっちりとした食感がクセになります。きな粉や黒蜜をかけて是非召し上がってみてください。ホッとする美味しさです。